
【背景】
1948年、パレスチナ(現在のイスラエル)の地を巡り、ユダヤ人(イスラエル)とアラブ諸国(パレスチナ)が対立しました。「イスラエル」が建国されたことにより、故郷を追われて近隣諸国に逃れたパレスチナ人は当時約100万人。レバノンにも多くの難民が流入しました。60年以上経った今も土地を巡る争いは続いており、国際社会で最も懸念される深刻な問題となっています。
レバノンでは、2006年にイスラエル軍とレバノンの武装組織ヒズボラとの交戦が起こり、33日間続いた空爆により、レバノンの民間人1,200人以上が死亡した。穴だらけの壁や剥き出しの鉄筋が今も残っています。
現在、レバノンに暮らすパレスチナ難民は42万人。同国の全人口の約10%を占めます。その半数は今もキャンプで生活し、キャンプ外で暮らす難民の多くも貧しい生活を送っています。難民は社会的地位や市民権が認められていません。教育や医療など政府の公共サービスの対象からも外され、73種の職業に就くことも禁止されているため、専門職や安定した職業に就くことができない状況です。現在の難民社会の失業率は70%。1日10ドル以下の収入で生活する家庭も少なくなく、そのため子供たちは高等教育を受けることができない状況です。同機関が運営する小学校を終了しても働き口はなく、路上に出てギャングなどに足を踏み入れてしまうケースも多く見られます。
【プロジェクトの内容】

レバノンでは現在、看護師が不足しているため、73種の職業に就くことを禁止されている難民にも、資格を持つ看護師には、特別就労許可が下ります。そのため、1988年より一食平和基金では、「UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)」が難民の教育と雇用の問題解決のために実施する「奨学金プログラム」を支援しています。
レバノンでは大学の授業料が非常に高額であるため、政府の支援を受けられたとしても、パレスチナ難民は学費の一部を負担しなければなりません。また、パレスチナ難民の家庭は、子どもの数が多く、学費を支払うのは非常に困難です。そのため、このプログラムは大きな意義をもっています。
このプログラムでは、ベイルート市内の難民キャンプに近いマカセッド看護学校と協力して看護師養成に力を注いでいます。この地域は、決して裕福な地域とは言えず、入学を希望する青年の中には貧しい家庭も多く存在しますが、この奨学金プログラムにより、専門的な教育を受けることができます。看護師資格を持てば、就職率は100%近くになります。
奨学生の募集方法は、新聞のパレスチナ難民向けの紙面上に広告を掲載するほか、UNRWAスタッフが公立中学校や難民キャンプ内の中学校を訪問し、奨学金制度についてガイダンスを実施しています。奨学生は、筆記試験・面接を受け、学業の成績や、看護師としての技術や資質等を総合的に判断されます。選ばれた奨学生には、大学3年間のうち、2年生まで奨学金が給付われます。2009年度は1年生5人、2年生6人の合計11人の学生に給付されました。