笑顔の絶えぬ「平和・平等」な世界を
島嵜 裕史(42)=小平教会
私が一食を実践するようになったのは阪神大震災でのボランティアでした。当時の自分は食べられるのが当たり前、住むところがあり、布団で寝るのが当たり前だと思っていました。しかしボランティアをさせて頂いたときは、まともな食事もままならず、寝るのも寒い車の中や体育館の冷たい床が当たり前でした。
また、被災された人々が何日も寒い体育館で身を寄せ合っている姿を見てつらくなり、何とかしてあげたいという気持ちになりました。そして一週間のボランティアも終わり東京に戻り「自分に出来ること」を模索していたある日、佼成新聞で、一食平和基金から被災地に義援金が拠出された記事を読みました。一食に興味を持ち、色々な資料・本を読み、世界では何億という人々が飢えで苦しんでいること、一食の精神が「同悲・祈り・布施」と知り、「これだ」と、実践するようになりました。
実践していく中で、つらくて多々食べてしまうこともありました。また、昼食を抜くので夕食にその反動がきて、おなかいっぱいに食べることもありました。そんなことを繰り返している中で、一食の全国フォーラムが青梅練成道場であり、その中の講演で『世界で飢えで苦しむ人々は一食食べると次はいつ食べられるかわからない』という言葉を聴いたとき、我慢出来ずに食べている自分と、夕食をたくさん食べてしまう自分が情けなくなり、その後の法座でサンゲさせて頂きました。
それからは一食がつらい時や実践日の夕食の時に、講演の話を思い出し乗り切ることが出来るようになりました。
その頃の教会では一食を実践している人は少なく、ご命日の式典などで一食の大切さをアピールしたり、青年部の仲間にメールを送ったり、教区の青年青梅練成で一食の研修をしたりと、一人でも多くの人に伝えようと頑張りました。今では多くの人が実践していると信じてます。
4年前に教会青年部で行った沖縄平和学習会、翌年の東京大空襲慰霊平和学習会を通して、「命の尊さ・戦争の恐ろしさ」を実際に肌で感じることができ、また戦争・内乱等で一番苦しむのは一般人であることを学びました。「アフリカへ毛布をおくる運動」や「ゆめポッケ」もキャンペーン期間だけではなく、一食と同様「いつでも、どこでも、だれにでも、いつまでも」出来る大事な実践行であると思います。
「この世から戦争や争いごとがなくなり世界の人々が『平和・平等』で笑顔の絶えなくなる日」を創(つく)ることが自分の夢であり、実践し伝えることが開祖さまから託された自分の使命であると思ってます。