推進活動

「一食を捧げる運動」 40年の節目を迎えて 庭野会長にインタビュー  愛に満ちた母のように、人々の心に寄り添い、悲しみ、苦しみを分かち合う

「一食(いちじき)を捧げる運動(一食運動)」が今年で40年を迎えました。月に数回食事を抜き、その分を献金するという地道な運動は、青年を中心に全国の会員へと定着してきました。浄財は、「立正佼成会一食平和基金」として、世界各国のプロジェクトに役立てられ、支援総額は130億円を超えました。40年という節目にあたり、「一食運動」に取り組む精神などについて、庭野日鑛会長にインタビューしました。

菩薩の精神が40年続く原動力に

―― 「一食運動」が40年の節目を迎えました

会員の皆さまが継続的に取り組んでくださっていることに、感謝を申し上げます。
自分だけでなく、人さまにも幸せになって頂きたいと願い、実践するのが菩薩です。その精神が、40年も継続する原動力となってきたのだと思います。
 「一食運動」による浄財は、世界各地のさまざまなプロジェクトに役立てられています。と同時に、本会の会員が、世界の現状を知り、より広い視野を持っていく機縁となってきたことは、大変有り難いことです。

―― 「同悲」「祈り」「布施」が、運動の柱となる精神とされています。なかでも何が一番大事なのでしょうか

「同悲」「慈悲」の「悲」、「かなしい」という文字は、子供のことを心底から案ずる母の感情を表していると言われます。
例えば、子供が病気をした時に悲しむのは当然ですが、母は、子供が出世した時でさえ、「どれほど苦労するのだろう」と案じ、悲しみます。それほどまでに子を思う心が、「悲」に込められているというのです。
また古典では、「愛情」の「愛」という字をあてて「愛(かな)し」と読みます。ですから、愛に満ちた母のように、人々の心に寄り添い、悲しみ、苦しみを分かち合おうとすることが最も大切であると思います。
そうした「同悲」の心は、やがて「苦しみから解放されてほしい」「みんなが幸せになってほしい」という純粋な「祈り」<本来は神仏のみこころ>となります。
そして「祈り」は、具体的な行動に結びつきます。キリスト教では、「与える」ということを大事にしているようですが、仏教でも、六波羅蜜(ろくはらみつ)の最初に「布施」<物・体・心のあらゆる面で他に施(ほどこ)し与えること>が説かれています。与え合ってこそ、一歩一歩、平和な世界が実現していくのだと思います。

誰もが持ち合わせる仏性の発露

―― 一般的な献金運動と「一食運動」の最も大きな違いはどこにあるとお考えですか

実際に一食を抜いて、空腹感やひもじい思いを味わう――そうした体験をすることが、「一食運動」の特長であり、素晴らしいところです。
世界には、その日の食べる物さえなく、慢性的な飢餓に瀕(ひん)しながらも、精いっぱい生きている人が大勢います。現実を知れば知るほど、「本当に大変だ」「何とかしてあげたい」という気持ちが湧いてきます。それは、人間の本性(ほんしょう)の発露(ほつろ)であり、誰もが持ち合わせている心です。
相手の苦しさ、ひもじさを全て分かることはできませんが、せめて一食を抜いて、一歩でも近づこうと努力していく。そのことを通して、相手への理解を深めると同時に、自分の本性、仏性に気づいていくのだと思います。

―― 今年、日本は、戦後70年の節目を迎えます

日本も戦後の貧しい時期は、アメリカや国際機関から援助を受けてきました。その後、今日まで平和な時代を過ごし、経済的にも豊かになりました。そうしたご恩をかみしめ、今度は自分たちが、人のため、平和のために役立つ存在になろうという気持ちを起こしていくことが大事です。
1月7日(御親教)には、「追遠(ついえん)」<先祖の徳を追慕(ついぼ)して心をこめて供養すること>ということをお話ししました。いわば自分のいのちのもとを振り返るということです。
会員の皆さまの祖父母、曾(そう)祖父母にあたる方々は、戦争を経験され、精神的にも、肉体的にも非常に困難な時代を、身をもって知っておられます。そうした体験を聞かせて頂くことも、「一食運動」を進める上では、とても意義あることです。
日本の国の礎(いしずえ)として聖徳太子は、「和を以(もっ)て貴(たっと)しと為(な)す」という言葉を十七条憲法の第一条に掲げられました。そうした日本の国家的、民族的な理想をしっかり「追遠」し、思い起こして、平和な国家、世界を築いていくことが、「一食運動」の真の目標と言えるのではないでしょうか。

――「一食運動」も40年経ちますと、一部にはマンネリ化を指摘する声もあります

私は、「平成二十七年次の方針」の中で、「テーマ」を持って取り組むこと、大切なものごとに集中することができるように工夫を凝らしていくこと、などを提示させて頂きました。このことは、「一食運動」においても同様であり、それぞれが自身に当てはめて、実践して頂ければと思います。
大事なのは、心をこめて、継続的に取り組むことです。慈済(じさい)基金会(台湾の仏教ボランティア団体)の創始者である證厳法師(しょうげんほっし)は、「第24回庭野平和賞」(2007年)の受賞者ですが、とても印象的なエピソードがあります。
慈済基金会が誕生した際、證厳法師は、信徒一人ひとりに竹筒を手渡し、毎日5毛(もう)(約50円)を食事代から節約して、人助けのために献金するよう促されたそうです。
ある日、一人の信徒がこう問いました。「毎月まとめて15元(げん)を献金すればよいのではないですか」と。すると證厳法師が答えられました。「5毛を筒に入れるたびに、人を救済するという気持ちを持ってほしいのです。5毛を節約する時、同時に人を愛し、救済する心も貯金して頂きたいのです」。
これは、とても大事な考え方です。私たちもまた、「一食運動」を通して、「同悲」「祈り」「布施」、つまり慈悲の心を育ませて頂いているということです。そうした運動の本質を忘れずにいたいものです。

いのちを頂くご恩に報いる実践

―― 会長先生は以前、「一食運動」について、「単に一食を抜き献金するということにとどめず、生活全般を見つめ直し、省みる機縁とすることが大事」とおっしゃっています

食事をするということは、生き物のいのちを頂くことです。他のいのちの犠牲の上に、生かされているわけです。ですから、そのご恩に報いることは、人間として当然のことです。「もったいない」という精神を大事にするということでもあります。
日本は、物が豊富ですから、つい食べ過ぎて、健康を害してしまうことがあります。しかし、他のいのちを頂いて、生かされている私たちなのですから、本来は、なるべく小食にして、健康を維持していくことが肝心であり、それが、ご恩に報いる一つのあり方ではないかと思います。「一食運動」の実践者が、その手本を示すことができたら、素晴らしいことです。
ライフスタイルを振り返り、無駄を省き、簡素な生活を心がけつつ、真心の献金をする――その意味では、一食を抜くこと以外にも、さまざまな実践が出来ると思います。「ご恩に報いたい」「もったいない」という心があれば、運動の形は多様であっていい、私はそう考えています。

(2015年2月1日付『佼成新聞』より)

このページのTOPへ